<本日の写真>折り紙が苦手な我が子が、頑張って折ったそうです。可愛いね、うんうん。
前のエントリーでね、高校生とのクロストークで、研究者として大事にしてることは何かと聞かれて、
「和」だって答えたことを書いたんですけど。
その時、高校生に、理由をあまりちゃんと説明できなかったなと反省してるので、ちょっとここで説明練習…
研究者がね、一人では研究できないとか。
オリジナリティを熱望するあまりに、仲間内でギスギスしてしまうとか。
そもそも科学技術は先人の知恵の上に成り立つとか。
そういう事と、ちょっと別の話になるんですけど。
生物において、縄張り争いをしない生き物を、私は知りません。
縄張り争いってね、当たり前のように言われる生存競争に根付く、もはや遺伝子レベルで組み込まれたものだと思うんですよ。
でね、人類にもその縄張り争いプログラムが入っていて。
威嚇のための大きな角の代わりに、本気になれば地球を何度も壊すほどの武器を有していて。
遺伝子に根付く「
争い」プログラムをそのまま発動させると破滅してしまうから、法律や国際情勢という技術をつかって、平和にしようと頑張っているわけですよ。
だから私は…
「和」と言うのは、高度な科学技術を有した人類が持つべき、最高に高度な人文科学技術だと思っています。
遺伝子レベルで各自に備わった縄張り意識を適度に発散させながら、本気になった時に招かれる最悪の事態を忘れずに生活し、決断する。
和の心、っていうのは、爪も牙もない人類の「最強」道具を作る科学・技術者が持つべき心なんだと…私は思うんですよ。
心ある人にしか魔法を教えないっていう物語は沢山ありますが。
多分ホントは、核を手にした時から、我々人類はその物語の登場人物にリアルになっているのでしょう…
和を尊びながらも、核から守る魔法も見つけられるといいよねクリック→